代弁日記

人に褒められる文章を書く練習

私とベースとホルモン

最近、スッゲー久しぶりにマキシマム ザ ホルモンを聴くようになりました。
ホルモンを聴いていると、なんとなく鬱蒼としていた中学時代を思い出したので、自分がベースを始めた時の話について書こうと思います。

当時、自分は13歳になったばかりの中学一年生だった。
友達が多いからという理由で入ったバスケ部は、ド下手なので活躍できずあまり楽しくなかったし、勉強は苦手ではなかったけどその頃は特段成績が良いわけでもなく、これといって自分を表現するモノがなかった。

そのころ、自分はVOCALOIDにハマって、ニコニコ動画で様々なボカロ曲を聴いていた。
なんとなく音楽に興味が出てきた時期で、VOCALOIDで曲を作ってみたいとも思っていた。

たまたま、父親が5000円で買ってきたというフェンダーテレキャスターがあったので、それでBeatlesを爪弾いたりすることもあった。

そんな折、中学の同級生に「ベースやらない?」と声をかけられた。
ソイツとは共通の友人を介してよく話すようになった、そんな矢先だった。
曰く彼は、中学の同級生で適当なヤツを集めてバンドを組みたいのだと言う。

ボカロ曲を作る上でバンドをやっていたら役に立つのではと思った僕は、二つ返事でOKした。

人生で初めて買ったベースは、中華製で出来も粗悪な、楽天で15000円の格安ベースセットだった。

そのバンドは結局、中学生にありがちな「プロ目指そうぜ!」みたいな事も言ったりしてたのだが、the blue heartsの「終わらない歌」だけコピーして、なんとなく疎遠になってしまった。ボーカルいなかったし。
ただ、ギターだったソイツだけとはその後もよくつるんでいたが。

正直、ベースを始めてしばらくは、「なんだこの楽器ただ同じ音同じリズムで弾くだけだし全く楽しくねえ」とか思っていた。1週間に一度しか触らないとかザラだったし。

ただ、音楽好きの父親の影響もあってから音楽を聴くことは好きだったので、相変わらずBeatlesブルーハーツ、クラプトン、QUEENなどは好んで聴いていた。

そこで、ソイツからベースの教則本を買うことを勧められた。
確かに、僕は独学という名のなんとなくでベースを弾いていたし、それでは上達しないのは明らかだったので、本屋で教則本を探した。
最終的にブルーハーツの曲が載っているからという理由で、一冊の教則本を購入した。
その本には、くるりの「ワンダーフォーゲル」や、RCサクセションの「雨上がりの夜空に」、他にもモンパチやポルノグラフィティなど、好きな曲のtab譜が収録されていたので、楽しくベースを練習することができた。

そんな中で異質な存在感を放っていたのが、マキシマム ザ ホルモンの「ぶっ生き返す!!」だった。
意味不明な歌詞と共に表示されたその曲の難易度は、教則本で最高の☆5(他にはラッドの「おしゃかしゃま」があった)。
興味が湧いた僕はある日、このバンドをYouTubeで調べてみることにした。
すると表示されたのは、インパクト大のヴィジュアルで、ヘッドバンギングかましながらうるせー音を鳴らすバンドだった。
当時シャウトとかデスボとかヘドバンなんて文化を知らなかったにも関わらず、僕は一気にそのバンドの虜になった。
中学2年生になった頃だった。

中二病という言葉があるように、何か抑圧された少年は自意識をあらぬ方向に拡散させるものだ。
その一部には、ヘヴィな音楽に傾倒するという症状が見られるようになる。
御多分に漏れず、僕もホルモンのCDやtab等を集め、当時は超絶技巧並に難しいと思っていたぶっ生き返すの練習に勤しんでいた。

ホルモンの影響で、僕のベースに対する見方も変わった。
ルートを刻むだけで、地味で目立たないと思っていたベースに、スラップという派手で華々しい技術があることを知ったのだった。
僕はひたすらスラップを練習した。運指も練習した。しかしずっとルートしか弾かなかった人間にいきなりぶっ生き返すはハードルが高く、一度挫折した。
その後は特にぶっ生き返すを練習する事はなく、何故か
BOOWYの「B-BLUE」などを練習していた。

そしてなんとな〜く、特段の情熱があるわけでもなくベースを続けていたある日、これまたなんとな〜くYouTubeRed Hot Chili Peppersを検索した。
ホルモンのベースである上ちゃんが崇拝していたので、何となく聴いておこうと思ったのだろう。

初めて聴いた曲は、たしか「Californication」だった。あの曲はバラード系なので、ヘヴィな音楽に慣れた僕の感想は「別にそんなでもないな」だった。
しかし、次に聴いた「By The Way」。これがかなりのインパクトを僕に与えてきた。
知っての通りあの曲は、Fleaの怒涛のベースラインが曲中ずっと繰り返される。ベースソロにちゃんと見せ場もあって、ベーシストなら一度はコピーしようと思う曲だろう。

気付けば、ホルモンの時のように、レッチリのCDやtabを集め、曲のコピーに勤しむようになっていた。
その頃部活を引退したのも大きかった。受験生ではあるが塾に通っていたので、家ではそこそこの時間が確保できたのだ。
主にコピーした曲は、「Can’t Stop」とやはり「By The Way」だった。
「Can’t Stop」ではスラップの基礎を、「By The Way」では運指と早めの指弾きを練習でき、僕のベーススキルはゆっくりと上昇していった。

また、同時にレッチリをきっかけとして色々な洋楽を聴くようになった。Nirvanaoasisなどもその頃よく聴いていた。

そうして、音楽知識やベースの技術が身についてくると、誰しもが思うようになるだろう事がある。

新しいベースが欲しくなるのだ。

確かきっかけは、吹奏楽部で部長を務めていた友達が、第一志望に受かったら楽器(何だったか忘れた)を買ってもらうという話をしてきた事だったと思う。

この頃、僕は喉から手が出るほど欲しいベースがあった。
FleaがBlood Sugar Sex Magik期やOne Hot Minute期に主に愛用していた、MusicmanのStingrayだ。
しかし、新品価格は20万円。手が届かないものとして諦めていた。

親に買ってもらう。その手があったか。
僕は早速、親に頼み込んだ。
それはもうめちゃくちゃに頼み込んだ。「絶対受かるから!」を連呼した気がする。
そうしてどうにか、親に半額を出してもらうという形で落ち着いた。残りの10万はお年玉貯金や様々なお祝い金をかき集めた。
今思えば塾に通わせてくれた上10万も出してくれるなんて優しい親だと思う。

まあ当時はクソガキなのでそこまでの感謝もなく、高校受験が終わってすぐさま友達と渋谷の楽器屋にstingrayを買いに行ったのを覚えている。

楽器屋には黒ボディにローズウッド指板のstingrayが置いてあった。Fleaと同じカラーリングだったのが嬉しかった記憶がある。
初めて触ったstingrayは、太めのネックなのに何故か違和感がなく、良いベースというのはこんなに弾きやすいものなのかと驚いた。

懐な大事にしまっていた20万を取り出して、stingrayを買ってからは、しばらくずっとベースを触っていた気がする。

良いベース、それもずっと欲しいと思っていたベースを使うのは、上達する上でも重要で、実際stingrayを使い始めてからの上達速度は中学のそれとは比にならなかった。
stingrayが無ければ、きっと僕のベース人生は大きく変わっていただろう。

結局高校は受かっていて(合格発表の日はI’m With Youを聴いていたのを何故か覚えている)、僕は軽音楽部に入部した。そこからはみんなの知っている通りです。

久しぶりにホルモン聴いてstingray触ってると中学の時のノスタルジックな記憶が溢れてきて、なんか昔のことを書きたくなったのです。
ここまで読んでくれてありがとう。

カントリーマアムについて

みんなも知っているだろう、カントリーマアム。
最近、そのカントリーマアムについて思うことがある。

アレッ、なんか小さくなってない?
カントリーマアムの、個包装の袋を開けるたびにそう思うのだ。
小学生の頃には、とても一口で食べるサイズではなかったカントリーマアムが、簡単に口の中に放り込めるようになっている。

俺が大きくなったのか?
俺が大きくなったから相対的にカントリーマアムが小さくなったのか?

そうか。なるほど。
納得した僕は、カントリーマアムを口の中に放り込み、風呂に入って寝た。

次の日、またカントリーマアムの袋を開けた。

おかしい。
いくらなんでも小さすぎる。
そもそも、袋に対するカントリーマアムの比率がおかしい気がする。
昔はもっと、袋の状態から中のカントリーマアムが存在を主張していたように思う。

さらに言うなら、数が少ねえ。
小さい頃の、いくら食っても無くならなさそうな量のカントリーマアムはどこに行ったんだ。
今のカントリーマアムはTV観ながらつまんでたら一瞬で無くなりそうな気がする。

これはおかしい。
私、気になります!(最近氷菓を観ました)

カントリーマアムを齧りながら、Googleで検索してみる。
するとどうやら、マジで小さくなっているらしい。
ここ10年でカントリーマアムの直径が2/3以下になり、枚数も同様に30枚→20枚に減ったそうだ。
単純計算で4/9の減量。
10年前の半分近く減っていることになる。

ショックだった。

せめて俺が大きくなったことにしていたかった。

僕たちが今食べているカントリーマアムは、小さい頃頬張っていた大きなカントリーマアムの幻影、そして残滓に過ぎないのだ。

人々の不安やストレスが日々大きくなっていくこの世界で、せめてカントリーマアムだけはそのままでいて欲しかった。

世の中はかくも世知辛いものだ。

僕はそっとブラウザを閉じ、カントリーマアムの袋を捨てた。

彼女が足りない

今週のお題「夏を振り返る」

夏休み、みなさんいかがお過ごしだろうか。
ひょっとしたら、「夏休みなんてねーよ!」って人や「夏休みなんてあってないようなもんだよ!」みたいな人もいるかもしれない。

ちなみに僕の夏休みは50日ある。7週間である。神奈総の夏休み(当時)の倍である。ヤバすぎ。

さて僕は、持て余すかと思われていた夏休みを思いのほか有意義に過ごしている。集中講座で単位を取ったり、本を読んだり映画を観たり、軽音サークルのライブがあったり、コミケ行ったり、帰省したり、友達と遊んだり…
8月のほとんどは何かしらの予定が入っており、自分でも大変充実した夏休みを過ごしていると実感している。

しかしある日、僕は気づいた。自分が常に何かしらの焦燥感や虚無感に襲われていることに。

この感情の正体はなんなのだろう。自分は充実した毎日を過ごしているはずだし、大学には宿題もない。

考えに考えた結果、僕は一つの結論にたどり着いた。

彼女が足りない

そう。彼女が足りない。

大学1年の夏休みに、彼女がいない。

彼女がいない。彼女がいない!?

う゛あ゛ーーーーーー!!!!!!!!なんでだよ!?!?!?!?なんで彼女がいないんだよ!!ー!!!!!!!

この事実に気づいてしまった僕は、大変な虚しさに襲われた。

そりゃ焦るわけだ。友達にもだんだん彼女ができてきてるし。ぼちぼち本格的に童貞捨て始めてるし。

彼女のいない青春など、夏休みのない8月のようなものだ。
あるいはカルピスのない夏休み。

俺が涼宮ハルヒだったらきっと「彼女がいない」という理由で15498回夏休みをループしている事だろう。

…と、ここまで書いて気づいたけど「物足りない事」を表すために用いられすぎじゃない?夏休み。

やっぱりみんな望んでいるのは充実した夏休みで、それを完遂するために欠けてはいけないものが多すぎるんですよ。

いつか送りたいなぁ〜。パーペキな夏休み。
ま、学生のジブンに許されている夏休みなんてあと3回くらいなんけど。

ま、でも彼女がいた去年の夏休みが(受験生ってこともあるだろうけど)今年より充実してたって気は全くしないんだよね。やっぱ本人の心の持ちようが1番大切だよね。ね…

そうだ、津に行こう

お盆の帰省ラッシュからちょっと遅れて、1人津に向かう。
家族は先に帰省している。「10日に帰省するよ」「あ、コ、コミケが…」「じゃあ後で来な」 趣味に干渉されないというのは、個人的には趣味に理解があるという事よりもありがたい。

同じタイミングで、長野に住んでいる叔父家族が帰省に来ていたため、従兄弟と遊び、謎にケーキと焼肉をご馳走してもらった。帰省ずらしてよかったー。

ここ数日、天気予報では台風10号の接近と、それに対する警戒を声高に叫んでいる。
僕が帰省する時期は、ちょうど近畿地方に台風が接近する時期と重なるようだ。なんで台風に向かって帰省してるんだ?

最寄駅でチケットを購入し、予定よりも早い電車に乗り込む。自動券売機で乗車券や特急券を買うと早いし、自分のペースで買えるし、駅員さんと話さなくていい。コミュ障にはありがたい。

交通費は親からもらっているが、できるだけ安く済ませて費用を浮かせたい(バイトをしてないクソニートのため)。新幹線は混んでなさそうだったので自由席にする。だが、名古屋から乗る特急に「指定席残りわずか」という表示があった。指定席が少ないという事は、自由席は言わずもがなだろう。大した額でもないため、こちらは指定席券を購入した。

電車に乗り込むと、予想外の空席の多さに目を見開いた。お盆だし、数ある横浜市の辺境の一つである港南台とは言え、座席がまるまる4列ほどは誰も座っていないのである。
ちなみに、僕は横浜市の辺境に関して大学の先輩と論争になり、キレかけたことがある。
その先輩は旭区に住んでいるのだが、僕が栄区在住であることを伝えると、驚くことにその先輩は栄区を知らなかったのである。横浜の区も知らずに横浜在住を名乗るな!Fランか?
その上、栄区の大まかな情報を聞いた上でソイツは「ギリ横浜。旭区の方が田舎」なんてナマききやがったのである。
横浜がみなとみらいや一部の北部以外あまり栄えてないことは周知の事実だし、どこが田舎かなんて論争はどうでもいいが、栄区より栄えているクセに田舎面していることがどうにも許せなくなった。
こちとら横浜市で高齢化率NO.1やぞ!?!?!?住民の半分が老人やぞ!?!?!?そもそも大学までこっちの方が時間かかっとるやろがい!!!!!同じ大学の港南台住みの人間が「通学に時間がかかりすぎるから引っ越そうかな…」って言っとるんやぞ?しかもこっちはもっと時間がかかっとるんやぞーーーー!!!!!旭区なんてズーラシアがあるだけまだマシだろうが!!!!!栄区はなんもねーんだよ!!!!このハゲーーーー!
てかお前栄区知らなかっただろ!!!!横浜市民でも知らねえ区の方が田舎に決まってるだろ!!!!!!!コラ!!!!!

よって、栄区の方が田舎である。Q.E.D.
ちなみに、同じ横浜出身でも、「え〜どこ区住み?栄区?え…どこ?ごめん笑」みたいなことはマジである。

閑話休題。懐かしの東神奈川で横浜線に乗り換える。京浜東北線はいろんな主要駅に一本で行けるので大変便利だが、新横浜には乗り換えないといけない点が玉に瑕である。最近「玉に瑕」って言い回しあまり見ないよね。なんでだろ。

新横浜に着くと、どうやら予定のものより何本か早い新幹線に乗れそうなことが分かったので、早速乗り込んで名古屋へと向かう。

新幹線の中では特に面白いこともなく、ずっとtoolを聴いていた。toolはカッコいい。プログレメタルの神様であることは間違いない。極端な寡作や、YouTubeにあまり動画が上がってない事も神話性を高めている気がする。みんなtool聴いてくれ。僕はdream theaterより普通にtoolが好きだ。toolやりてえ。

三河安城駅を定刻通り通過し、名古屋に着く。売店赤福が売っている。赤福は伊勢の土産だが、三重県はおろか近畿地方全域や名古屋でも当然のように売っているので、赤福大好きな僕としては大変ありがたい。
ていうかさらにいうなら東京でも売っている。東京はなんでも揃うからすごい。東京にいれば東京以外どこに行かないでも世界中のものが揃うからサイコーだ。しかも東京では一瞬でお遍路巡りができる神社もある。強すぎる東京。だから人は希望とともに東京に集まり、その殆どは家畜のような人生を送る。人は愚かだ。だが僕も東京の大学に通い、1日の半分は東京で過ごすようになった。だから僕も愚かだ。僕は家畜だ。豚だ。

さて、早い新幹線で来れたので、予定の特急まで少し時間がある。名古屋駅で時間を潰さないといけないが、名古屋駅改札内には何もない。東京駅の改札内にはたくさん店があるのに。やっぱ東京は強いな。
仕方がないので、名古屋駅改札内をぐるぐる見て回ってみる。マジで何もない。びっくりするくらい何もない。お前マジでこれで三大都市圏とか名乗ってんの?港南台の方がまだ改札内蕎麦屋とかあるよ?マジ?でっけえ通路しかねえじゃん。在来線12本+新幹線のホームを行き来するでっけえ通路しかねえじゃん。
あとキオスクしかねえじゃん。壁面だけで店を展開してるタイプのめちゃくちゃ小せえキオスクしかねえじゃん。他におけるもんあるだろこんな面積広いなら。なんもねえじゃん。改札も2つしかねえじゃん。しかもめちゃくちゃ小せえじゃん。これマジで名古屋?壮大なドッキリじゃなくて?

あまりにも何もなさすぎて驚いたので、もう特急に乗ることにする。
えっ?w?www?mww???www特急2両?www?wwwwそんな事ってある?www?www???しかもめっちゃ空いてるじゃんwwwwww指定席もめっちゃ空いてるじゃんwwwwwwなんで?mww?wwwえ、指定席は1両の半分しか無いの?www?wwwwwそりゃ残りわずかだわwwwwwww指定席買わなきゃよかったwwwwwwww

甘かった。東京に慣れすぎていた。地方はこんなもんなのである。首都圏の人口はおおよそ4000万弱。日本国民の1/3が首都圏に住んでいる計算になる。それに対して愛知県はおおよそ750万。人口密度が圧倒的に違う。皆さんも特急鳥羽に乗るときは指定席を買わないようにしましょう。



じゃ、僕はひつまぶしと松坂牛と赤福食ってきます。

働きたくネェ

※注意!この文章は、将来ニートになる可能性の高い人間がただ働きたくない理由を書くだけの文章です。気分を害する恐れがあるのでブラウザバックを推奨します。

働きたくネェ。こう考えるようになったのはいつからだろう。
思えば、小さい頃からずっと「将来の夢」の欄に地に足ついた職業を書くことがなかった気がする。強いて言うなら、牛乳が大好きだった幼稚園時代に「ぎゅうにゅうやさん」って書いてたくらいだろうか。
一番地に足ついてなかったのは多分小学校中学年の頃の「発明家」だろう。「発明家」って何?マック赤坂

働くのが決定的に嫌になったのは多分高校1年の頃、ケンタッキーのバイトだ。店長や指導係がめちゃくちゃ罵倒してくるタイプの人間だったのである。「こんな苦痛を絵に描いたような仕事で時給980円⁉︎」4日でバックれた。給料は貰った。

だが人間お金がないと生きていけない。高校時代はおしりかじり虫ばりに親の脛をかじりながら過ごした(今もそうだけど)が、どうしてもお金が必要な時は、いくつか派遣のバイトをした。だが、そうした派遣のバイトを繰り返すたびに1つ、気づいたことがある。

自分は、働くことにあまり向いていない。正確にいえば、自分に向かない仕事が圧倒的に多い。

そもそもものぐさで責任感も義務感もなくやりたい事だけやって面白おかしく過ごせればいい人間だから「やりたい事」のために「やりたくない事」をやるという考え方も無いのである。

日本なんて昔からずーっと効率度外視で精神力で働いてきた国なんだよ⁉︎精神力のない俺が働けるわけないじゃん。まあ外国でも働かないけど。

「出来ないと思ってるだけで実際やってみれば出来る」?うるせーよ!じゃあ貴方は僕にその成功体験をさせてくれるんですか〜って話だよ!仕事に関する成功体験やポジティブイメージが全然ないまま働けって言われても無理だよ!それなら大学卒業とともに人生を終えたほうがマシだ。

しかも哲学科在学だから多分就職がない(哲学科就職セミナーに行った友達曰く、「哲学科でも就職できるから頑張れ〜」って成功例を見せられるだけの会だったらしい)。

なぜ、人は働かなければならないのか。全員が全員働くことに向いてるわけではないのに、働くことが義務化されてる社会生き辛すぎる。働くことに不向きな人間致命的すぎない?

はあ〜toolかっこいい(今toolを聴きながらこの記事を書いています)。そういえばtoolのボーカルって若い頃思いつきで陸軍に入隊したことあるんだよな。俺も自衛隊に入隊してみよっかな。
って思ったけどめんどくさいからや〜〜〜〜〜〜めた!自衛隊って運動部の何倍キツいんだよ。見るからにキツそうなイメージしかないわマジ。

いや働きたくネェ〜〜〜将来はニートします。

卒業かあ〜…

2ヶ月続いた日記も、自分から始めたハッシュタグも全てめんどくさくなってこのブログを書いている。

卒業。この支配からの卒業。
既に過去のものとなった高校生の思い出は甘美な感情と共に記憶され、いずれ曖昧になっていくだろう。

誰しもが過去に縋る事は許されず、決別し未来に向かう事を強要される。

それはとても辛く、だからこそ卒業は悲しい。
僕も同じだ。友達との別れも、軽音部の公演も、雄幸の世界史をひっくるめてもいい。それらの神奈総生活は何にも代え難いものであったし、それは思春期における僕の成長の大部分を占めている。

だが、時々ある不安が僕を襲う。僕はこの3年間で「何者」かに近づけただろうか。かけがえのない「何者」かに。
この3年間で手に入れたものといえば、多少のベース、ギターの技術や音楽の知識、そしてほんの少しばかりの大学受験用の教養くらいのものだ。

僕は神奈総生活を通して多くの友人と出会った。彼、彼女らの中には、到底かなわないと思ってしまうような技術や、センスや、その他色々を持つ人間がいた。

僕はこの3年間で自分が「何者」かに近づけたとはとても思えない。
しかし彼、彼女らは着実に行動を起こし「何者」かへ近づいている。

人に与えられた時間は短く、その中で人は足掻かねばならない。
僕らと同世代で既に「何者」かになっている人間もいれば、「何者」になるために足掻くことさえも許されぬままその一生に幕を下ろす人間もいる。

そう。僕たちに与えられた時間は短いのだ。
だからこそ僕たちは懸命に足掻き、耐え、この世界の中で生き残らなければならない。

過去に縋る者は取り残され、未来に向かう意志を持つ人間だけが残る。

僕は明日、この3年間と決別し、この世界で生き抜くため未来へ進まなければならない。

生き残った先の世界を見るために。

っていう決意文でした。とっ散らかっててごめんね。
深夜&卒業テンションで厨二臭いのは許して。
卒業しても仲良くしてね。

PC筋から生まれた小人

骨盤底筋(こつばんていきん)は、骨盤底を構成する深会陰横筋、尿道括約筋、肛門挙筋、尾骨筋の4つの筋の総称のこと。

ある日、僕はウンコをしていた。
ウンコをする時はいきむだろう。誰だってそーする。俺もそーする。

ところで、みんなはPC筋というものを知っているだろうか。
骨盤底筋の俗称であるこれは、恥骨や尾骨周辺に存在し、普段便や尿を切るために使っている。

そしてこのPC筋には、もう一つ重要な役割がある。男性器に送り込まれた血液を押しとどめ、勃起を維持するというものだ。

その時、モーレツにいきんでいた僕は、ふと自分の股間を見た。
男性諸君が自分の股間を見るとき、そこには大抵ちんこがある。

御多分に漏れず僕の視線の先にもちんこがあった。
PC筋により血液が送り込まれ、やや肥大化したちんこが。

思わず笑ってしまった。何故って、亀頭だけ他と比べてやたら肥大化していたから。

「小人みたいだな」と、そう思った。

何故そう思ったのかは分からない。分かる人がいたら教えてくれ。

そして、亀頭だけやたら肥大化したソレを持ち上げ、裏声で「コンニチハ」と呟いてみた。

ふふっ。笑いが漏れてしまう。
生まれてこの方18年間ウンコをしてきたが、ウンコの最中小人に出会ったのはこの時が初めてであった。

便秘気味のウンコを放り出す。多くの人にとって辛いだろうその瞬間、小人が勇気を与えてくれた気がした。

僕はまた、この小人に会えるだろうか。




ド下ネタでごめんて。
ブログの書き方とか分からへんねん。