カントリーマアムについて
みんなも知っているだろう、カントリーマアム。
最近、そのカントリーマアムについて思うことがある。
アレッ、なんか小さくなってない?
カントリーマアムの、個包装の袋を開けるたびにそう思うのだ。
小学生の頃には、とても一口で食べるサイズではなかったカントリーマアムが、簡単に口の中に放り込めるようになっている。
俺が大きくなったのか?
俺が大きくなったから相対的にカントリーマアムが小さくなったのか?
そうか。なるほど。
納得した僕は、カントリーマアムを口の中に放り込み、風呂に入って寝た。
次の日、またカントリーマアムの袋を開けた。
おかしい。
いくらなんでも小さすぎる。
そもそも、袋に対するカントリーマアムの比率がおかしい気がする。
昔はもっと、袋の状態から中のカントリーマアムが存在を主張していたように思う。
さらに言うなら、数が少ねえ。
小さい頃の、いくら食っても無くならなさそうな量のカントリーマアムはどこに行ったんだ。
今のカントリーマアムはTV観ながらつまんでたら一瞬で無くなりそうな気がする。
これはおかしい。
私、気になります!(最近氷菓を観ました)
カントリーマアムを齧りながら、Googleで検索してみる。
するとどうやら、マジで小さくなっているらしい。
ここ10年でカントリーマアムの直径が2/3以下になり、枚数も同様に30枚→20枚に減ったそうだ。
単純計算で4/9の減量。
10年前の半分近く減っていることになる。
ショックだった。
せめて俺が大きくなったことにしていたかった。
僕たちが今食べているカントリーマアムは、小さい頃頬張っていた大きなカントリーマアムの幻影、そして残滓に過ぎないのだ。
人々の不安やストレスが日々大きくなっていくこの世界で、せめてカントリーマアムだけはそのままでいて欲しかった。
世の中はかくも世知辛いものだ。
僕はそっとブラウザを閉じ、カントリーマアムの袋を捨てた。